Asuteka’s diary

読書好きでコラムも書いています♪

私は手塚治虫先生に会っていた!

AKBネタではなくてすみません。

私のことをブログで語るのは

個人情報にもなるのであまりよくはないのですが、

でも、某サイトでは本名で顔出しまでして仕事に

していたりもします(笑)

話を戻します。

私の父親は私が6歳の頃にガンで

他界しています。

その父親は大学の英文科を卒業後、広告代理店に就職し

その代理店で『月光仮面』や『怪傑ハリマオ』などの

製作スタッフをしておりました。

※ちなみに父親の後輩にはあの阿久悠さんがいらっしゃって

父親の葬式にもきてくださいました。

その『怪傑ハリマオ』がきっかけで(ハリマオは海外ロケだったため)

30代半ばで広告代理店を

退社し海外へ渡り、何度か日本に帰国した際に母とお見合いをし

結婚し私は海外で生まれています。

そんな父親も40代で病気になり

急遽日本へ家族で帰国し

入退院をくりかえしておりました。

その父親の副業というか、実は本業で本人は大学時代に漫研をつくった創設者であり

漫画をずっと描いていた漫画家でもありまして・・・

売れない漫画家だったのですが

横のつながりはすごくて

漫画家協会にも所属していたので一応プロの漫画家でした。

その父親がガンで余命わずかという時に

銀座で個展を開いたのです。

そこには大学時代にいっしょに漫研を設立した

『はじめ人間ぎゃーとるず』で有名な園山先生など

もいらっしゃってくれて・・・

話は変わります。

今日、関東ローカルの『アド街ック天国』をみていたら

高田馬場特集でそこで高田馬場といえば『虫プロ』ということで

手塚治虫先生の話になり

いっしょにみていた母親に「亡くなった父親も手塚治虫先生の

影響はうけていたの?」ときいたら「受けていたわよ」と即答

『父の銀座の個展にも来てくださったとのこと』

私は「えーーーーーっ!!」と絶叫。

「あなたもいたわよ」と母。

その個展に藤子不二雄のF先生が

いらっしゃってくださったのは私も母から聞いて

おぼえていたのですが。

それだけでもすごいことなのに

あの漫画の神様『手塚治虫先生が!!!!』

イメージ 1


しかも私もあっている!!!

全然記憶にない!!

ない!

ない!

ない!


母はベレー帽をかぶってとても品の良い方で

話し方もとてもやさしくて、ガンで余命わずかな父と

あとに残される母親のことをいたわってくださったとのこと。

時間にして15分ぐらいだったようですが、

母は当時のことを鮮明におぼえていました。

私は39年前に手塚治虫先生に会っていた!

さっき知ってブログにしました。

AKBでなくてすみません。