Asuteka’s diary

読書好きでコラムも書いています♪

月光仮面60周年 あの時を探しに編 続々

大瀬康一さんの

トークライブ終了後は

近くの駐車場に

月光仮面の愛車

Honda ドリームC70 を

見に行きました。

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約60年前のHondaのバイクです。

レストアされていて

ピカピカでとても

かっこよかったです。

私も以前Hondaのバイクに

乗っていたことがあり

私がバイクに乗っていたきっかけも



乗るライダーが多いので

Hondaのオフロードバイク

乗っていました。

話を戻します。

ここで月光仮面も登場。

大瀬康一さんと月光仮面

2ショットは貴重です。
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その後

撮影会になり

月光仮面と私と大瀬康一さん

の3ショット

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夢のようでした。

撮影会終了後

再び映画館へ戻り

今度は大瀬康一さんの

サイン会でした。

私はこの日のために

父 と 作詞家の阿久悠さんの

2ショット写真を2枚を

 ipad に入れて持参しました。

サイン会で私の番になったとき

私「こんにちは(ipadの写真を見せ)

私の父親は宣弘社で月光仮面

スタッフでした。

この写真の右に写っている人が父で

左が同じく宣弘社にいらした阿久悠さんです」

大瀬さんは驚いておられました。

私「名前は○○といいます」

大瀬さん「○○さんおぼえていますよ。懐かしいです」

私「父が生前お世話になりました」

ここで後ろの方に申し訳ないので

サインをいただきその場を離れました。

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サイン会終了後

会場の外で待っていると

大瀬さんが私のもとへいらしてくださり

私はすぐに持参したお菓子を

お渡ししました。

大瀬さん「○○さんのことおぼえていますよ。とても良い方でね。」

私「阿久悠さんと一緒に仕事をしており阿久悠さんともとても親しくさせていただいておりました」

大瀬さん「いつ頃お亡くなりになりましたか」

私「40年前です」

大瀬さんと数分お話をさせていただきました。

その後懇親会があり

ここでまさか大瀬さんまで

ご参加されるとは思わなくて

大変驚きました。

大瀬さん自ら

参加者のテーブルをひとつひとつを

まわり

月光仮面の話や

当時の銀幕スターの

お話をしてくださいました。

大瀬さんが私のいるテーブルに

いらしてすぐに

「彼の父親は宣弘社にいたんですよ。

一緒に月光仮面をつくっていてね」

周囲の人は驚いていました。

私は大瀬さんの前の席を

周囲の方が譲ってくださり

質問までさせていただきました。

私「さきほどトークライブの中で

月光仮面にはふきかえの方が

いたということでしたが本当ですか?」

大瀬さん「はい、いましたよ。

自分が演じていないふきかえの

月光仮面 は首のところの

シワでわかるんですよ」

私「そういう方が何人かいらしたのですか?」

大瀬さん「何人かいましたね」

私「母に聞いたのですが、私の父も

月光仮面の衣装をつけて演じたことが

あるそうです」

周囲の人から「おースーツアクターだ」

という声があがりました。

大瀬さん「そうでしたか」

と笑顔で答えてくださいました。

当時月光仮面は低予算であったため


演じていたことが確証できました。

大瀬さんの身長と私の父親の身長も

ほぼ同じぐらいなので

それは間違いないと思います。

楽しい時間はあっという間に過ぎ

大瀬さんを会場の全員で

お見送りし

月光仮面60周年記念イベントは

終了致しました。

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題名 あの時を探しに 

私の父親と仕事をした方に

お会い出来るなんて

まずありえないことで

とても貴重なことでした。

理由は

大瀬さんもトークライブで

大瀬さん自らお話をしていましたが

当時のスタッフや俳優はみなさん

亡くなっていて

私ぐらいしかいませんということでした。

確かに

大瀬さんが現在80歳で

当時は一番若かったと思います。

私の父親が生きていたら

84歳です。

当時は大学出たばかりの

若手です。

スタッフのほとんどが

ご存命であれば

平均で88歳ぐらいになるわけで

ご存命の方は少ないと思われます。

とても貴重な時間と

あの時を探しには

私と父親を

現在も

つないでいる



探しに行き

多くのものを

得ることが

出来ました(終)